イッセイミヤケはどんなファッションブランドか?
イッセイミヤケは三宅一生によって生み出されたファッションブランドです。
イッセイミヤケの生みの親である三宅一生は1938年に広島県に生まれ、多摩美術大学を卒業後に渡仏し、ギ・ラロッシュ、ジバンシーのメゾンに入りました。1969年に単身ニューヨークへ渡り1970年に三宅デザイン事務所を設立。1971年にイッセイミヤケとしてニューヨークコレクションを発表。その2年後の1973年にパリに戻りプレタポルテ・コレクションを発表しました。尚、イッセイミヤケは日本の和服に代表される”一枚の布から”という発想で表現されておりこの表現は衣服と身体の関係に迫る”動くオブジェ”とも呼ばれイッセイミヤケは国際的な評価を得ました。1984年と1989年にイッセイミヤケは毎日ファッション大賞を受賞し、1988年には"プリーツ・プリーズ"という銘柄のプリーツラインを発表しました。1998年に彼はフランス・リヨン大学にて名誉博士号を受賞し、1999年より引退後イッセイミヤケのチーフデザイナーを滝沢直己に交代。2000年には日本芸術大賞とジョージ・ジェンセン賞を受賞。そして第18回の毎日ファッション大賞・ミレニアムにてイッセイミヤケは記念賞を受賞しました。
イッセイミヤケと日本の織物
イッセイミヤケは産地織物と古い関係を持ち1978年に新潟県の五泉市で三宅一生・ニットファッションショーが開催されたほどです。また1990年代のパリコレでのイッセイミヤケは有松絞りと呼ばれる染色を施した産地織物を利用しているそうです。他にイッセイミヤケと織物の代表的作品では全国有数の絹布として伝統産品になってきた甲斐絹というものがあります。これは伝統工芸の斜陽化の例に漏れず瀕死の状態つまりは危機を打開しようと山梨県織物整理株式会社を中心とした織物業者たちは1980年代にニードルパンチ加工技術によって付加価値の高い織物を製造する手段を選択したそうです。これにはイッセイミヤケを生み出した三宅一生も注目しました。この三宅一生と甲斐絹との付き合いは非常に長く1990年代の末から始まり三宅一生の展示会でも1998年のパリ,1999年のニューヨーク,2000年の東京現代美術館いずれにおいても展示品の一部に山梨県の織物が使用されています。1983〜85年のBODYWORKS展・1988年のISSEY MIYAKE A UN展・1990年のpleats Please展・Ten Sen Men展・1992年のTWIST展などの展覧会を開催した。また海外での活動をみると1988年にパリ装飾美術館で展覧会が催され同年にはフランクフルト・バレエ団のためにイッセイミヤケの衣裳をデザインしている。バレエ団とのコラボレーション以来のイッセイミヤケは、多種のプリーツ布地が利用されるようになりました。こういったイッセイミヤケの動向は1989年に発表したプリーツ・プリーズというコンセプトに引き継がれ世界的に支持されるようになりました。
イッセイミヤケ ブランド一覧
- イッセイ・ミヤケ
- イッセイ・ミヤケ メン
- プリーツ・プリーズ
- エイポック
- ハーツ
- ミー イッセイ・ミヤケ
|